北北海道を牛柄トラックで駆ける牛削蹄所。菅原道北削蹄所のオフィシャルサイトです。

とある獣医師の独り言55

新年あけましておめでとうございます。前回の更新から3か月が過ぎてしまいました。忙しさにかまけてしまい、筆(パソコン)不精になってしまい申し訳ありません。今月からまた少しずつ更新していけるように頑張りますので、またお付き合いお願いします。
もう忘れてしまった方もたくさんいると思いますが、前回の続きのストレプトコッカス ボビス(以下Str.bovisと略します)と蹄底潰瘍の関連性の話です。

◎エキソトキシン
レンサ球菌の仲間はエキソトキシンと言う毒素を作り出します。これは第52話でお話しした大腸菌などが作る毒素エンドトキシンとは多少違います。またまた専門用語になるので詳しくはお話ししませんが、2000年におきた雪印の食中毒は、黄色ブドウ球菌のエキソトキシンによる食中毒です。

※出血している葉状層

話を戻しますが、Str.bovisと蹄病の関連についていろいろ調べてみたのですが、残念ながら牛においてはこれと言って確証となるようなもの見つけることはできませんでした。ただ馬の文献では、穀類を過食した馬が蹄葉炎を発症する原因として、Str.bovisがあげられていました。Str.bovisが作るエキソトキシンがMMP(体が作る酵素の一種)を活性化させ、蹄葉の葉状層に出血を起こさせ、蹄葉の構造を破壊するというものでした。このことから考えると、牛でもルーメンアシドーシス下では、ルーメン内でStr.bovisが異常増殖するため、蹄葉炎を発症する可能性は大いにあると考えられます。
今月まで三回にわたってお話ししてきましたように、SARAはエンドトキシン、ヒスタミン、Str.bovisの作るエキソトキシンと3つの方向から蹄をむしばむ可能性があります。さらにSARAは栄養状態を悪くし、脂肪を減らすため蹄球枕を小さくさせ蹄底潰瘍の発症につながります。最近の研究ではSARAの大本である乳酸が四胃変位を引き起こすもっと重要な因子だとも言われ始めています。
最近牛が痩せてきたし、足の痛い牛が増えてきたし、それになんか病気が増えてきたなあと思ったら、一度SARAを疑ってみることお勧めします。
今月は以上です。


by とある獣医師

年末のご挨拶

本年も、日本の伝統的削蹄技術を継承していけるよう、講習、研修会、会議等積極的に参加し、牛の健康の為邁進してまいりました。

皆様と牛に教えていただいたこと、学んだことを来年に活かせるよう、従業員共々、より一層の心をこめて牛と接し努めてまいります。

本年中のご愛顧に心よりお礼申し上げますとともに、来年もより一層のご支援を賜りますよう、

スタッフ一同心よりお願い申し上げ、年末の挨拶とさせていただきます。


株式会社 菅原道北削蹄所

2017-12-31 Category コラム, 当社 | Leave a Comment

~チーズの歴史~

■偶然から生まれ、世界へ広がったチーズ
人間がいつチーズを食べるようになったかは明確には分かりませんが、紀元前4000年ごろと思われる古代エジプトの壁画にはチーズなどの製造法が描かれており、インドでも紀元前3000年のものといわれる「ベーダの賛歌」の中にチーズを勧める歌があます。インドの仏典である涅ね 槃はん経きょうには、「牛より乳を出し、乳より酪らくを出し、酪らくより生せい酥そ を出し、生せい酥そ から熟じゅく酥そ を出し、熟じゅく酥そより醍だい醐ご を出すが如し、醍だい醐ご 最上なり」とあり、五味の最上である醍だい醐ご はチーズといわれています。また、紀元前2000年ごろのアラビアの民話では次のように伝えられています。「砂漠を行く隊商が、羊の胃袋でつくった水筒に乳を入れ、ラクダの背にくくりつけて旅に出ました。1日の旅を終えて乳を飲もうとすると、出てくるのは水っぽい液体と白い固まりだけ。その白い固まりを食べてみると、それはおいしくて何ともいえない味でした」このような偶然の出来事がチーズの誕生とされています。水筒に使った羊の胃袋の中にはレンニン(キモシン)という酵素があり、それによって乳が固まり、歩いている間に揺られてチーズになったのでしょう。この原理は、今でもチーズ製造に利用されています。

■チーズづくりが重要な産業となったローマ時代
ローマ帝政時代には、チーズづくりはすでに大切な産業になっており、紀元前36年以後には詳細なチーズの製造法が記録されています。チーズの製法は秘伝のような形で伝えられ、特にヨーロッパでは中世の修道院や封建領主によっても守られ、長い歴史の間にそれぞれの地方色豊かなたくさんの種類が生まれました。

■日本におけるチーズの歴史
日本では孝徳天皇(在位645~654年)の時代、645年に百済の智ち 聡そうの息子・善ぜん那な によって牛乳と酪らくや酥そ などの乳製品が天皇家に献上されています。酥そ は一種のチーズにあたるといわれますが、今の製法と違い、牛乳を煮詰めて固め
たもののようです。醍だい醐ご 天皇(在位897~930年)の時代には、諸国に命じて酥そ をつくり天皇に貢進させる「貢こう酥そ の儀」を行いました。醍だい醐ご天皇は酪農への深い理解者で、「醍だい醐ご」という乳に関係した語を天皇の名にしたといわれます。その後、権力が武家に移ると、「貢こう酥そ の儀」も行われなくなりました。江戸時代、8代将軍吉宗(在位1716~1745年)はオランダ人に勧められ、1727年にインドより白牛3頭を入手し、その牛乳から「白牛酪」を製造するようになりました。「白はくぎゅうらく牛酪」は牛乳を煮詰め乾燥させて団子状に丸めたもので、バターという説もありますが、よりチーズに近いものといわれています。60年後の11代家斉(在位1787~1837年)のときには、牛は70頭になりました。

■日本における最初のチーズづくり
近代ヨーロッパ型チーズは、1875年に北海道の開拓庁の試験場で初めて試作され、1904年ごろから函館のトラピスト修道院でもつくられるようになりました。しかし、昭和初期までチーズの消費量はごくわずかで、ほとんどが輸入品でした。本格的につくられるようになったのは1933年、北海道製酪販売組合連合会が北海道の遠浅にチーズ専門工場をつくってからです。日本でチーズの消費が急激に伸びたのは、食生活の洋風化や生活水準が向上した1950年後半からです。1975年ごろのピザの普及、1980年ごろのチーズケーキのブームなどナチュラルチーズの消費が広がり、1988年には従来多かったプロセスチーズに加えてナチュラルチーズの消費が多くなりました。2015年の国民1人あたりの年間消費量は2.2kg。ヨーロッパ諸国の消
費量と比べると約10分の1ですが、日本人の食生活の中にはチーズが定着し、ナチュラルチーズの特有の風味を楽しむ人が確実に増えてきています。

引用文献:Jミルク

2017-12-26 Category コラム, 牛コラム | コメントは受け付けていません。

削蹄通信Vol.14号発行しました!



お待たせしました。
年2回発行の当社削蹄通信Vol.14を9月27日発行しました。

今回も牛の情報から当社の紹介まで充実の内容です。
順次畜主様、関係機関へお渡しとなりますのでよろしくお願いします!

by RIMU

2017-12-7 Category コラム, 最新情報 | Leave a Comment

~考える牛~

みなさんこんにちは、久しぶりの更新でございます♪
最近は本格的に雪が降り気温がどんどん下がり始め大変な時期になってまいりました。
我が家では、クリスマスツリーを飾りクリスマスムード全開です♪
さて、今回のコラムでは、考える牛を紹介したいと思います。
みなさん、考える人は聞いたことある方は多いと思いますが考える牛はあまり聞いたことがないと思います。
ちなみに考える人はコチラ↓↓

製作者オーギュスト・ロダン
フランスの彫刻家で19世紀を代表する彫刻家として有名、代表作は地獄の門、考える人などだそうです。

では考える牛はコチラ↓↓

作者は彫刻家のJosep Granyerさん
銅像の場所はスペインのバルセロナのランブラ・デ・カタルーニャ通りにあります。

1972年に地元商店街の委員会が通りのシンボルとして制作しました。

設置当時、この辺りを地下駐車場の建設やバイパスにしてしまおうという計画があったのですが、
商店街のある並木道の素敵な通りが壊れてしまう可能性があったため、銅像を置くことにより、この計画を阻止したみたいです。

もし旅行の際には一度見るのも良いかもしれませんね♪

byRIMU

2017-12-7 Category コラム, 牛コラム | コメントは受け付けていません。

牛革の種類と基礎知識


最も一般的な革であり、市場に多く流通する牛革ですが、牛皮は、革靴に使用される革としては最大数量であり、一般的に成牛の背中から脇までの皮を使用しています。

加工する製品には、使用する部位や牛の年齢によって用途や風合いは大きく異なるり、製品化された値段にも大きな違いがでてきます。

特に人口的な艶とはまったく違った美しい艶と滑らかな銀面が自慢のレザーアイテムは、生後3-6ヶ月の子牛(まれにベビーカーフやキップのカーフとして呼ばれることもある)の革から作っています。成牛に比べ、銀面は滑らかで面積が小さく高級な小物や靴に用いられています。カーフはキズには弱いのですが、その繊細さからは高級感が漂い世界中でもいちばん人気のある革です。

牛革の種類と特徴

【カーフ】
生後6ヶ月以内の子牛、まれにベビーカーフやキップのカーフとして呼ばれることもあります。人間の皮膚に例えるとわかりやすいのですが、成牛に比べ、銀面は滑らかで面積が小さく高級な小物や靴に用いられます。

【ベビーカーフ】
キメ細やかな表情で革本来の表情を楽しむ、ツウなレザー生後3ヶ月ほどの子牛の革。カーフスキンよりさらに面積が小さく、銀面のきめの細かさや滑らかさが際立つ最高級素材。雨や傷には弱いが、革本来の表情を楽しむために、色づけは透明度の高いアニリンなどの塗料を使用しうす化粧で仕上げる。

【キップ】
カーフよりも手頃であるが、気品あふれる美しさは絶品な素材子牛と成牛の中間に位置する牛革。小型の革の呼称であるスキンと呼ばれる牛革はこのキップまでで、カーフには劣るものの、銀面のきめ細やかさや滑らかさは成牛に比べて美しく、高級感を求められるバッグなどには最適だ。

【ステアハイド】
生後2年以上の牡の成牛だが、生まれて3-6ヶ月以内に去勢されている。暴れる事も少なく育つために傷が少なく、銀面のきめ細やかさはキップにも近い質感。非常にポピュラーな素材で、大型のバッグや衣類などに使われる。

【カウハイド】
需要と供給バランスが優れた牛革の代名詞的な存在。生後2年を経過し、出産を経験した牝牛の成牛。大判であるために大型の鞄やジャケットなどに使われる、牛革の代表だ。さらにプルハイドと呼ばれる、去勢しない繁殖用の牡牛革も存在するが、これらは靴底などに使用される。

byRIMU

2017-11-18 Category コラム, 牛コラム | Leave a Comment

~牛車の歴史~


  『日本書紀』を調べてみると、我が国では、大和時代(五世紀頃)に、車が使用されていた。牛に曳かせていたのであるが、乗用車というより荷車的な性格を持っていた。なぜ、馬でなく牛だったかというと、奈良時代から上流貴族は、牛乳を飲んだり酪というチーズのような乳製品を食べる習慣があり、牧場で沢山の牛を飼っていたので、手に入れるのが容易であったからである。雌は酪農用に、力のある雄はもっつぱら車を曳くのに用いられていた。また、道路状況からみても遅い牛のほうが適当であったと考えられる。
雨の多い日本の道はぬかるみがちで、雨があがっても、車の通った後の轍(わだち)が残り、凹凸(おうとつ)のあるでこぼこの道であった。『今昔物語』には、車に乗り慣れない武士が、牛車の揺れのひどさに困惑している場面も出てくるほどである。

ところで、絵巻物などに出てくる牛車を使うようになったのは、平安時代になってからのこと。屋内での生活が主になり、奈良時代の人々に比べて体も弱くなり、衣冠束帯(いかんそくたい)や十二単のように服装も活動的でなかったので外出には車が必要になってきたのである。

牛車は平安貴族の乗用車として使用され、位階・家格によって相違していた。 現代の自動車メーカーが大きさや仕様の違った車を製造し、人々も速くて自分の好きなタイプの車を欲しがるのと同様、牛車の構造や色、模様も様々であった。
当時の人々も車輪や車軸を丈夫にするより車体を綺麗にしたのである。一般的にはあるように竹や檜で編んだ網代を使った網代車が「牛車」として知られている。

牛車は、南北朝頃から次第に衰退していくが、背景には、貴族社会から武士社会への大きな変化があった。位階がなければ使用できない規則のために、征夷代将軍を始め、朝廷から位階を授かった上流階級の武士を除いては一般に牛車に乗る資格がなく、馬にのるようになったのである。こうして除々に牛車の使用が減っていったのである。
 
一方の貴族も儀式の時に使うだけとなり、江戸時代になると、ほとんど姿を消してしまうのである。

ちなみに日本での馬車の出現は、明治時代になってからである。

byRIMU

写真素材: スタジオヨッシー

2017-11-4 Category コラム, 牛コラム | コメントは受け付けていません。

干支の動物の持つ意味とは??


干支には、丑(牛)が入っていますが、それぞれ動物の意味と干支の順番が決まった昔話を紹介します。

まず動物の意味を紹介します。


・子(ねずみ)
繁殖力がとても強いことから、「子孫繁栄」の意味があります。


・丑(うし)
丑は古来より、人間と密接にかかわってきた家畜で
大切な食料や、農作業や運搬などの労働力であっ
たことから、「粘り強さと誠実」の意味があります。

・寅(とら)
毛皮の美しい模様から前身は夜空に輝く星と考
えられており、「決断力と才知」の意味があります。


・卯(うさぎ)
うさぎの穏やかな様子から、「温厚で従順」の意味があります。

・辰(たつ)
伝説の生き物である龍は、古代中国で権力者の象徴とされて
おり、 「正義感と信用」の意味があります。


・巳(へび)
執念深いと言われているが恩を忘れず、助けた人には必ず
恩返しをすると言われることから、探究心と情熱」の意味があります。

・午(うま)
丑と同様、人との付き合いが長く、また役に立つ動物であり、
人間も馬を大事に扱ったことから、「陽気で派手好き」の意味
があります。


・未(ひつじ)
群れをなすため、亜属の安泰や平和に暮らすことを示してい
るため、「穏やかで人情に厚い」の意味があります。


・申(さる)
山の賢者で、山神の使いと信じられていたことから
「利口と好奇心」の意味があります。

・酉(とり)
人に時を報せる動物で、“とりこむ”という商売には縁起
が良いとされている干支で「親切で世話好き」の意味が
あります。

・戌(いぬ)
人との付き合いも古く、社会性があり忠実な動物である
ことから、「勤勉で努力家」の意味があります。

・亥(いのしし)
イノシシの肉は万病を防ぐと言われており無病息災の
象徴とされているので「勇気と無病息災」の意味があります。

次に干支の順番が決まった昔話を紹介します。
どうして丑(牛)が二番目なんでしょう??

昔々の大昔のある年の暮れのこと、神様が動物たちにお触れを出したそうな。
「元日の朝、新年の挨拶に出かけて来い。一番早く来た者から十二番目の者までは、順にそれぞれ一年の間、動物の大将にして
やろう」動物たちは、おらが一番とて、めいめいが気張って元日が来るのを待っておった。ところが猫は神様のところにいつ行くの
か忘れてしまったので、ねずみに訊くと、ねずみはわざと一日遅れの日を教えてやった。猫はねずみが言うのを間に受けて、喜ん
で帰っていったと。さて元日になると、牛は「おらは歩くのが遅いだで、一足早く出かけるべ」とて夜のうちから支度をし、まだ暗いの
に出発した。牛小屋の天井でこれを見ていたねずみは、ぽんと牛の背中に飛び乗った。そんなこととは知らず、牛が神様の御殿に
近付いてみると、まだ誰も来ていない。我こそ一番と喜んで待つうちに門が開いた。とたんに牛の背中からねずみが飛び降り
ちょろちょろっと走って一番になってしまった。それで牛は二番それから虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順で着いた。
猫は一日遅れで行ったものだから番外で仲間に入れなかった。
それでねずみを恨んで、今でもねずみを追い回すのだそうな。
引用元:干支情報サイト

干支には、意味、順番があったんですね♪♪

by RIMU

2017-10-20 Category コラム, 牛コラム | コメントは受け付けていません。

とある獣医師の独り言54



9月になりました。今年も全国各地から鮭を求めて太公望たちがこの北オホーツクに集結してくる時期になりました。年々鮭が釣れる時期が遅くなってきているような気がします。しかも昨年はかなり不漁だったと聞きました。今年こそは爆釣なはずです。早くコラムを完成させて鮭釣りに参戦しなくては。
今月からはルーメンアシドーシス(SARA)と蹄底潰瘍の関係の話の最後、ストレプトコッカス ボビスについてです。このコラムでたびたび登場するこの名前ですが、そもそもストレプトコッカスとはどのような菌なのでしょうか。

ストレプトコッカスとは

形状は写真のように球状の菌が紐のように連なった形をしているため、レンサ(連鎖)球菌と言われます。ボビスとは牛の意味なので、ストレプトコッカス ボビスは牛のレンサ球菌ということになります。ボビスに限らず、レンサ球菌は多くの動物の上部消化管(口やのど、食道)に存在して、悪さをする菌として知られています。たとえば、人では小さい子供が良くかかるのどの病気、咽頭(いんとう)炎や扁桃腺(へんとうせん)炎を起こしたり、虫歯や歯垢を作るのもレンサ球菌の仲間(ストレプトコッカス ミュータンス)が原因となっているなど、生物にとってあまり良い菌とは言えません。
一方でストレプトコッカスは乳酸菌の一種でもあります。乳酸菌というと乳酸菌という種類の菌がいると思っている方も多いと思いますが、実は乳酸菌と言う菌は存在せず、乳酸を作る菌の総称を乳酸菌と言います。乳酸菌にはこのストレプトコッカス属のほかに、ラクトバチルス属、ビフィドバクテリウム属、ラクトコッカス属、エンテロコッカス属など現在では15種属200種類以上の株が確認されています。余談になりますが、善玉の乳酸菌のほとんどはラクトバチルス属(ヤクルト菌、ガセリ菌など)かビフィドバクテリウム属(ビフィズス菌など)に属し、ストレプトコッカス属の善玉乳酸菌はごくわずかしかありません。
こんな残念な菌種の中のストレプトコッカス ボビスが蹄底潰瘍にどのようにかかわるのかはまた次回お話しします。

byとある獣医師

2017-9-25 Category とある獣医師の独り言, コラム | コメントは受け付けていません。

第24回北海道ブロック牛削蹄競技大会レポート

平成29年9月4日・5日の2日間にわたり江別市 酪農学園大学で開催された、第24回北海道ブロック牛削蹄競技大会。
フォトで大会の様子をお伝えします。







大会1日目は削蹄判断研修と削蹄判断競技が行われました。






終えた後、交流会が行われました。






2日目は牛削蹄競技大会開催です。


























単独保定の部(写真左から)
優 勝 高田 和弘 (北見市)
準優勝 新 知幸(江別市)
3 位 上岡 淳(北見市)
4 位 菅原 洋充(名寄市)


枠場保定の部 優勝 帯広市 梨木サイモン城陽 (写真右)
単独保定の部 優勝 北見市 高田 和弘 (写真左) 

最後に各部門優勝者の記念撮影です。
本当におめでとうございます!

by RIMU

photo by shota&takaaki

2017-9-12 Category コラム, 削蹄師会 | コメントは受け付けていません。

2018 菅原道北削蹄所|北北海道を幅広くエリアカバーする牛削蹄所です . | Blue Weed by Blog Oh! Blog