北北海道を牛柄トラックで駆ける牛削蹄所。菅原道北削蹄所のオフィシャルサイトです。

~ヨーグルト学~



ヨーグルトは古くから親しまれてきた乳製品
ヨーグルトは、乳に乳酸菌を加え、発酵させた乳製品です。紀元前数千年、人間が牧畜をはじめた頃から作られています。
原料は、牛乳だけでなく、水牛、山羊、羊など哺乳動物の乳が使われます。牛乳、水牛の乳から作るインドの「ダヒ」、馬の乳から作るモンゴルの「クーミス」など、世界各地で特色のあるヨーグルトが食べられています。

この「ヨーグルト」という言葉は、古代トルコの「乳から作った酸っぱい発酵乳」をさした「ユーグルト」が語源になっています。

日本でヨーグルトは、「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」で、種類別「発酵乳」とされていて、成分の規格は、無脂乳固形分(牛乳から乳脂肪分と水分を除いた成分)が8.0%以上で、乳酸菌数または酵母数が1000万/ml以上と定められています。

さまざまな特徴をもつ乳酸菌
ヨーグルトを製造する上で、なくてはならない乳酸菌は、糖類を分解して多量の乳酸などを生成する細菌の総称で、1857年にパスツールによって発見されました。
乳酸菌は、広く自然界に存在し、人や動物の消化管にも生息しています。みそ、しょうゆ、漬物、チーズなども乳酸菌の働きを利用して作られています。
ヨーグルトの製造に使われている乳酸菌は、ブルガリア菌、サーモフィルス菌、ビフィズス菌、アシドフィルス菌などです。
乳酸菌の種類ごとにさまざまな特徴をもつため、乳酸菌の組み合わせ方により、製品ごとに風味や味、機能などが変わってきます。

ヨーグルトの乳酸菌による効果
乳酸菌には、いろいろな効果がありますが、代表的なものには、次のようなものがあげられます。
(1)整腸作用…消化管の有害菌を抑え、菌叢(きんそう)を正常にする。腸内腐敗を抑える。消化管の運動 を促進して便通を整える。
(2)消化吸収の促進…牛乳を乳酸発酵することにより消化吸収を促進する。
(3)免疫力を高める…病気に対する抵抗力をつける。
(4)アレルギー症状をやわらげる…花粉症など。

また牛乳を酸性にすることで保存性を高め、風味を高める効果もあります。
乳酸菌は、胃酸や胆汁酸の影響を受けて、腸まで生きて届くことができないものと、生きて腸に届き効果を発揮するものがあります。
しかし死んでしまった菌も、有害物質を吸着して排出させたり、免疫機能を高めてウイルスや病原菌からカラダを守ったり、体内で有効に働きます。

ヨーグルトの栄養価
牛乳は、それ自体栄養価の優れた食品ですが、ヨーグルトは乳酸発酵により、牛乳にはない機能性が加わった食べものに変化しています。
ヨーグルトに含まれるたんぱく質は、乳酸発酵により一部分解されているので消化吸収しやすく、また、乳糖の一部も分解されているため、牛乳を飲むとおなかがゴロゴロする人にもおすすめです。
またヨーグルトは、ビタミンCが少なく食物繊維は含まれませんから、フルーツとの組み合わせはおすすめです。味わいの相性も抜群です。
ただし、生のキウイフルーツ、パパイヤ、パイナップルなどには、たんぱく質分解酵素が含まれ、その酵素の働きにより、苦みを感じることがあるので、これらのフルーツと組み合わせる場合は、すぐに食べるようにしましょう。

引用文献:Jミルク
写真素材:かわいいフリー素材集いらすとや

2018-3-14 Category コラム, 牛コラム | Leave a Comment

第30回昭和新山国際雪合戦

平成30年2月24.25日に第30回昭和新山国際雪合戦が壮瞥町昭和新山で開催されました。

当社の松原が所属するチーム「なよろ煮込みジンギスカン隊」が出場しました。

この大会では、カナダ、フィンランド、中国などの国が参加する世界大会です。

ここまでの世界大会に出場するまで地区予選を勝ち上がり出場できる大会なのです。











byTakaaki

2018-3-2 Category コラム, 当社 | Leave a Comment

「北を向く牛」―不思議な現象の中にある自然現象ー


世界中の多くの牛が北を向くという現象が起きていると、ディスカバリーチャンネルというTV番組で紹介していた時がありました。ウェブを検索してみると、やはり同じような事例、そして牛だけでなく鹿も北を向く現象もあるという記事もあります。何故、牛や鹿が北を向くのか?という疑問に答える為に、TV番組では色々な実験や検証をするのですが、はっきりとした答えは見つかりません。

牛が北を向くという現象は、どうやら昨日今日に始まった事では無いようで、ずっと昔からあったようでした。たまたま最近、その事に気が付いて発表した科学者がいたので、牛が北を向く現象があると世界中の人達が分かるようになったようです。

宇宙の中で生命に影響する北を向くことの作用とは?

番組中で一つだけ検証出来たのは、全ての牛が率先して北を向くわけでは無くて、ある一匹の牛が初めに地球のN極を感じて北を向いて、他の牛たちはその牛の真似をして北を向くという事でした。その初めに北を向く牛は他の牛たちのリーダーであり、どうやら「牛のスピリチュアルリーダー 」とも呼べる存在のようです。

牛は頭を北方向に向けると、地球の磁場の流れが牛の身体に反応して、気の流れが楽になるので北を向くようです。日本では、北枕は亡くなった人の為と言われています。何故、亡くなった人を北枕にするのか?

それは実は、身体の気の流れが良くなる為に死体の腐る速度が遅くなるからなのです。夏の暑い日でも、北枕にすると腐るスピードは遅くなるようなのです。その為に人が亡くなったら北枕にするようになったのです。

牛や亡くなった人に北枕が良いのなら、生きている人間にも北枕が良いと考えるのは道理かもしれません。「 北枕は亡くなった人の為 」と教えてきたのは、人民が力を持ち過ぎては困ると考えた江戸時代の権力者だったとも言われています。どうやら昔の権力者達は、頭を北に向けると身体にも頭にも良いと知っていたようです。

色々考えても良く解らないので、北枕が良いのか身体で実感してみようと思い、番組を見てからは北枕で寝ています。北枕にしても隙間から北風が当たるのを除いては、とりあえず弊害は無いようです。弊害が無いどころか、朝起きた時に頭がすっきりしているように感じて寝起きが良いようです。

「北を向くスピリチュアルな牛」を見習って北に頭を向けて寝てみると感覚が敏感になって、きっと地球の気の流れに身体が同調していくのを何となく感じるかも知れません。

byRIMU
TRINITYより

2018-2-17 Category コラム, 牛コラム | Leave a Comment

とある獣医師の独り言55

新年あけましておめでとうございます。前回の更新から3か月が過ぎてしまいました。忙しさにかまけてしまい、筆(パソコン)不精になってしまい申し訳ありません。今月からまた少しずつ更新していけるように頑張りますので、またお付き合いお願いします。
もう忘れてしまった方もたくさんいると思いますが、前回の続きのストレプトコッカス ボビス(以下Str.bovisと略します)と蹄底潰瘍の関連性の話です。

◎エキソトキシン
レンサ球菌の仲間はエキソトキシンと言う毒素を作り出します。これは第52話でお話しした大腸菌などが作る毒素エンドトキシンとは多少違います。またまた専門用語になるので詳しくはお話ししませんが、2000年におきた雪印の食中毒は、黄色ブドウ球菌のエキソトキシンによる食中毒です。

※出血している葉状層

話を戻しますが、Str.bovisと蹄病の関連についていろいろ調べてみたのですが、残念ながら牛においてはこれと言って確証となるようなもの見つけることはできませんでした。ただ馬の文献では、穀類を過食した馬が蹄葉炎を発症する原因として、Str.bovisがあげられていました。Str.bovisが作るエキソトキシンがMMP(体が作る酵素の一種)を活性化させ、蹄葉の葉状層に出血を起こさせ、蹄葉の構造を破壊するというものでした。このことから考えると、牛でもルーメンアシドーシス下では、ルーメン内でStr.bovisが異常増殖するため、蹄葉炎を発症する可能性は大いにあると考えられます。
今月まで三回にわたってお話ししてきましたように、SARAはエンドトキシン、ヒスタミン、Str.bovisの作るエキソトキシンと3つの方向から蹄をむしばむ可能性があります。さらにSARAは栄養状態を悪くし、脂肪を減らすため蹄球枕を小さくさせ蹄底潰瘍の発症につながります。最近の研究ではSARAの大本である乳酸が四胃変位を引き起こすもっと重要な因子だとも言われ始めています。
最近牛が痩せてきたし、足の痛い牛が増えてきたし、それになんか病気が増えてきたなあと思ったら、一度SARAを疑ってみることお勧めします。
今月は以上です。


by とある獣医師

年末のご挨拶

本年も、日本の伝統的削蹄技術を継承していけるよう、講習、研修会、会議等積極的に参加し、牛の健康の為邁進してまいりました。

皆様と牛に教えていただいたこと、学んだことを来年に活かせるよう、従業員共々、より一層の心をこめて牛と接し努めてまいります。

本年中のご愛顧に心よりお礼申し上げますとともに、来年もより一層のご支援を賜りますよう、

スタッフ一同心よりお願い申し上げ、年末の挨拶とさせていただきます。


株式会社 菅原道北削蹄所

2017-12-31 Category コラム, 当社 | Leave a Comment

~チーズの歴史~

■偶然から生まれ、世界へ広がったチーズ
人間がいつチーズを食べるようになったかは明確には分かりませんが、紀元前4000年ごろと思われる古代エジプトの壁画にはチーズなどの製造法が描かれており、インドでも紀元前3000年のものといわれる「ベーダの賛歌」の中にチーズを勧める歌があます。インドの仏典である涅ね 槃はん経きょうには、「牛より乳を出し、乳より酪らくを出し、酪らくより生せい酥そ を出し、生せい酥そ から熟じゅく酥そ を出し、熟じゅく酥そより醍だい醐ご を出すが如し、醍だい醐ご 最上なり」とあり、五味の最上である醍だい醐ご はチーズといわれています。また、紀元前2000年ごろのアラビアの民話では次のように伝えられています。「砂漠を行く隊商が、羊の胃袋でつくった水筒に乳を入れ、ラクダの背にくくりつけて旅に出ました。1日の旅を終えて乳を飲もうとすると、出てくるのは水っぽい液体と白い固まりだけ。その白い固まりを食べてみると、それはおいしくて何ともいえない味でした」このような偶然の出来事がチーズの誕生とされています。水筒に使った羊の胃袋の中にはレンニン(キモシン)という酵素があり、それによって乳が固まり、歩いている間に揺られてチーズになったのでしょう。この原理は、今でもチーズ製造に利用されています。

■チーズづくりが重要な産業となったローマ時代
ローマ帝政時代には、チーズづくりはすでに大切な産業になっており、紀元前36年以後には詳細なチーズの製造法が記録されています。チーズの製法は秘伝のような形で伝えられ、特にヨーロッパでは中世の修道院や封建領主によっても守られ、長い歴史の間にそれぞれの地方色豊かなたくさんの種類が生まれました。

■日本におけるチーズの歴史
日本では孝徳天皇(在位645~654年)の時代、645年に百済の智ち 聡そうの息子・善ぜん那な によって牛乳と酪らくや酥そ などの乳製品が天皇家に献上されています。酥そ は一種のチーズにあたるといわれますが、今の製法と違い、牛乳を煮詰めて固め
たもののようです。醍だい醐ご 天皇(在位897~930年)の時代には、諸国に命じて酥そ をつくり天皇に貢進させる「貢こう酥そ の儀」を行いました。醍だい醐ご天皇は酪農への深い理解者で、「醍だい醐ご」という乳に関係した語を天皇の名にしたといわれます。その後、権力が武家に移ると、「貢こう酥そ の儀」も行われなくなりました。江戸時代、8代将軍吉宗(在位1716~1745年)はオランダ人に勧められ、1727年にインドより白牛3頭を入手し、その牛乳から「白牛酪」を製造するようになりました。「白はくぎゅうらく牛酪」は牛乳を煮詰め乾燥させて団子状に丸めたもので、バターという説もありますが、よりチーズに近いものといわれています。60年後の11代家斉(在位1787~1837年)のときには、牛は70頭になりました。

■日本における最初のチーズづくり
近代ヨーロッパ型チーズは、1875年に北海道の開拓庁の試験場で初めて試作され、1904年ごろから函館のトラピスト修道院でもつくられるようになりました。しかし、昭和初期までチーズの消費量はごくわずかで、ほとんどが輸入品でした。本格的につくられるようになったのは1933年、北海道製酪販売組合連合会が北海道の遠浅にチーズ専門工場をつくってからです。日本でチーズの消費が急激に伸びたのは、食生活の洋風化や生活水準が向上した1950年後半からです。1975年ごろのピザの普及、1980年ごろのチーズケーキのブームなどナチュラルチーズの消費が広がり、1988年には従来多かったプロセスチーズに加えてナチュラルチーズの消費が多くなりました。2015年の国民1人あたりの年間消費量は2.2kg。ヨーロッパ諸国の消
費量と比べると約10分の1ですが、日本人の食生活の中にはチーズが定着し、ナチュラルチーズの特有の風味を楽しむ人が確実に増えてきています。

引用文献:Jミルク

2017-12-26 Category コラム, 牛コラム | コメントは受け付けていません。

削蹄通信Vol.14号発行しました!



お待たせしました。
年2回発行の当社削蹄通信Vol.14を9月27日発行しました。

今回も牛の情報から当社の紹介まで充実の内容です。
順次畜主様、関係機関へお渡しとなりますのでよろしくお願いします!

by RIMU

2017-12-7 Category コラム, 最新情報 | Leave a Comment

~考える牛~

みなさんこんにちは、久しぶりの更新でございます♪
最近は本格的に雪が降り気温がどんどん下がり始め大変な時期になってまいりました。
我が家では、クリスマスツリーを飾りクリスマスムード全開です♪
さて、今回のコラムでは、考える牛を紹介したいと思います。
みなさん、考える人は聞いたことある方は多いと思いますが考える牛はあまり聞いたことがないと思います。
ちなみに考える人はコチラ↓↓

製作者オーギュスト・ロダン
フランスの彫刻家で19世紀を代表する彫刻家として有名、代表作は地獄の門、考える人などだそうです。

では考える牛はコチラ↓↓

作者は彫刻家のJosep Granyerさん
銅像の場所はスペインのバルセロナのランブラ・デ・カタルーニャ通りにあります。

1972年に地元商店街の委員会が通りのシンボルとして制作しました。

設置当時、この辺りを地下駐車場の建設やバイパスにしてしまおうという計画があったのですが、
商店街のある並木道の素敵な通りが壊れてしまう可能性があったため、銅像を置くことにより、この計画を阻止したみたいです。

もし旅行の際には一度見るのも良いかもしれませんね♪

byRIMU

2017-12-7 Category コラム, 牛コラム | コメントは受け付けていません。

牛革の種類と基礎知識


最も一般的な革であり、市場に多く流通する牛革ですが、牛皮は、革靴に使用される革としては最大数量であり、一般的に成牛の背中から脇までの皮を使用しています。

加工する製品には、使用する部位や牛の年齢によって用途や風合いは大きく異なるり、製品化された値段にも大きな違いがでてきます。

特に人口的な艶とはまったく違った美しい艶と滑らかな銀面が自慢のレザーアイテムは、生後3-6ヶ月の子牛(まれにベビーカーフやキップのカーフとして呼ばれることもある)の革から作っています。成牛に比べ、銀面は滑らかで面積が小さく高級な小物や靴に用いられています。カーフはキズには弱いのですが、その繊細さからは高級感が漂い世界中でもいちばん人気のある革です。

牛革の種類と特徴

【カーフ】
生後6ヶ月以内の子牛、まれにベビーカーフやキップのカーフとして呼ばれることもあります。人間の皮膚に例えるとわかりやすいのですが、成牛に比べ、銀面は滑らかで面積が小さく高級な小物や靴に用いられます。

【ベビーカーフ】
キメ細やかな表情で革本来の表情を楽しむ、ツウなレザー生後3ヶ月ほどの子牛の革。カーフスキンよりさらに面積が小さく、銀面のきめの細かさや滑らかさが際立つ最高級素材。雨や傷には弱いが、革本来の表情を楽しむために、色づけは透明度の高いアニリンなどの塗料を使用しうす化粧で仕上げる。

【キップ】
カーフよりも手頃であるが、気品あふれる美しさは絶品な素材子牛と成牛の中間に位置する牛革。小型の革の呼称であるスキンと呼ばれる牛革はこのキップまでで、カーフには劣るものの、銀面のきめ細やかさや滑らかさは成牛に比べて美しく、高級感を求められるバッグなどには最適だ。

【ステアハイド】
生後2年以上の牡の成牛だが、生まれて3-6ヶ月以内に去勢されている。暴れる事も少なく育つために傷が少なく、銀面のきめ細やかさはキップにも近い質感。非常にポピュラーな素材で、大型のバッグや衣類などに使われる。

【カウハイド】
需要と供給バランスが優れた牛革の代名詞的な存在。生後2年を経過し、出産を経験した牝牛の成牛。大判であるために大型の鞄やジャケットなどに使われる、牛革の代表だ。さらにプルハイドと呼ばれる、去勢しない繁殖用の牡牛革も存在するが、これらは靴底などに使用される。

byRIMU

2017-11-18 Category コラム, 牛コラム | Leave a Comment

~牛車の歴史~


  『日本書紀』を調べてみると、我が国では、大和時代(五世紀頃)に、車が使用されていた。牛に曳かせていたのであるが、乗用車というより荷車的な性格を持っていた。なぜ、馬でなく牛だったかというと、奈良時代から上流貴族は、牛乳を飲んだり酪というチーズのような乳製品を食べる習慣があり、牧場で沢山の牛を飼っていたので、手に入れるのが容易であったからである。雌は酪農用に、力のある雄はもっつぱら車を曳くのに用いられていた。また、道路状況からみても遅い牛のほうが適当であったと考えられる。
雨の多い日本の道はぬかるみがちで、雨があがっても、車の通った後の轍(わだち)が残り、凹凸(おうとつ)のあるでこぼこの道であった。『今昔物語』には、車に乗り慣れない武士が、牛車の揺れのひどさに困惑している場面も出てくるほどである。

ところで、絵巻物などに出てくる牛車を使うようになったのは、平安時代になってからのこと。屋内での生活が主になり、奈良時代の人々に比べて体も弱くなり、衣冠束帯(いかんそくたい)や十二単のように服装も活動的でなかったので外出には車が必要になってきたのである。

牛車は平安貴族の乗用車として使用され、位階・家格によって相違していた。 現代の自動車メーカーが大きさや仕様の違った車を製造し、人々も速くて自分の好きなタイプの車を欲しがるのと同様、牛車の構造や色、模様も様々であった。
当時の人々も車輪や車軸を丈夫にするより車体を綺麗にしたのである。一般的にはあるように竹や檜で編んだ網代を使った網代車が「牛車」として知られている。

牛車は、南北朝頃から次第に衰退していくが、背景には、貴族社会から武士社会への大きな変化があった。位階がなければ使用できない規則のために、征夷代将軍を始め、朝廷から位階を授かった上流階級の武士を除いては一般に牛車に乗る資格がなく、馬にのるようになったのである。こうして除々に牛車の使用が減っていったのである。
 
一方の貴族も儀式の時に使うだけとなり、江戸時代になると、ほとんど姿を消してしまうのである。

ちなみに日本での馬車の出現は、明治時代になってからである。

byRIMU

写真素材: スタジオヨッシー

2017-11-4 Category コラム, 牛コラム | コメントは受け付けていません。

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