北北海道を牛柄トラックで駆ける牛削蹄所。菅原道北削蹄所のオフィシャルサイトです。

とある獣医師の独り言63

SARAの原因がStr.Bovisが作る乳酸であるということは前回お話ししました。SARA予防に画期的な商品がありますので今回はそれを紹介しようと思います。

その商品とは、出光興産が製造し共立製薬が販売しているルミナップです。この製品の最も優れた特徴は、カシューナッツ殻から抽出した成分がStr.Bovisを始めとしたグラム陽性菌の増殖を選択的に抑制し、ルーメンの細菌バランスを整えるという点です。このことによりルーメン内での飼料効率を上げ、さらには乳酸の過剰産生を抑えることで、SARAを防ぎ第四胃変位の発生やケトーシスの発生を減少させるという商品です。
ルミナップのラインナップは三種類です。

ルミナップⅯ
ルミナップのⅯはマッシュ(裏ごし)の頭文字です。カシューナッツ殻の抽出成分をそのまま粉末状にした製品で、濃度が高く少量で効果を示す商品です。

ルミナップP
Pはペレットの頭文字です。カシューナッツの殻液をアルファルファミールのペレットに糖蜜と共にしみ込ませた製品です。嗜好性と投与のしやすさが特徴です。


ルミナップGL
GLはジェルの略です。高濃度のカシューナッツの殻液をジェル状にして経口投与することで直接的な効果を得ることができます。

実際の使用法や投与効果については次回お話しします。

byとある獣医師

2019-7-31 Category とある獣医師の独り言, コラム | コメントは受け付けていません。

名寄産業高校の牧場の削蹄を行いました

名寄市にある北海道名寄産業高等学校
令和元年7月22日に名農キャンパスの牧場の削蹄をさせていただきました。
その様子を写真にてレポートします。



























無事に削蹄も完了し、しっかりとした蹄が出来ました。
この度は北海道名寄産業高等学校様ありがとうございました。

by RIMU

2019-7-26 Category コラム, 講習会 | コメントは受け付けていません。

Saff Photo



名寄産業高等学校にて

photo by RIMU

2019-7-22 Category rimu, 風景フォト | コメントは受け付けていません。

牛乳殺菌の歴史


牛乳殺菌の歴史
私たちが毎日飲んでいる牛乳は、加熱殺菌されています。牛乳の殺菌方法は容器に表示されています。
殺菌方法の歴史をみてみましょう。

牛乳製造販売のはじまり]
幕末の頃の1863年、横浜で牧場を開いた前田留吉が日本で最初に牛乳の販売をはじめました。
当時の販売方法は、牛乳を大型のブリキ缶で運び、5勺(90ml)ずつ柄杓ですくって量り売りで宅配していました。
当時の牛乳は無殺菌なので、利用できるのは牧場から運べる範囲の人々に限られていました。

殺菌のはじまり
1864年、細菌学者ルイ・パスツールはワインの変質を防ぐ方法として55℃の加熱殺菌処理法(パスツリゼーション)を確立しました。
19世紀の終わり頃、欧米でこの方法が牛乳処理に応用されはじめ、今日の殺菌方法の基礎になっています。「パスチャライズ(pasteurize)」は“殺菌する”という意味ですが、これもパスツールの名に由来しています。

日本での殺菌処理のはじまり
日本でも安全性と保存性を高めるため、1899年(明治32年)から牛乳ビンに詰めてビンごと蒸気で加熱する「滅菌牛乳」「消毒牛乳」と呼ばれる高温殺菌牛乳が出回りはじめました。
しかし、コストもかかり普及しませんでした。

殺菌の義務化
東京市営公衆食堂で起きた「腐敗牛乳販売事件」をきっかけに、東京警視庁(警視庁が当時、乳肉衛生関係を所管していた。)は1927年(昭和2年)に殺菌を義務化しました。
1933年(昭和8年)には内務省が「牛乳営業取締規則」を改正し、低温殺菌(63~65℃で30分間加熱)または、高温殺菌(95℃以上で20分間加熱)で殺菌することとしました。

現在の殺菌
その後、規則は時代の流れとともに改正され、厚生労働省令「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」で、「保持式により63℃で30分間加熱、またはこれと同等以上の方法で加熱殺菌すること」と定められました。
技術の進歩により、圧力をかけて100℃以上の加熱が可能になり、現在は耐熱性胞子形成菌を死滅させる超高温瞬間殺菌(UHT殺菌)が9割を占めています。

byRimu

引用文献:Jミルク
写真素材:素材ラボ

2019-7-19 Category コラム, 牛コラム | コメントは受け付けていません。

Hokkaido Photo7/8




byRimu

2019-7-8 Category rimu, 風景フォト | コメントは受け付けていません。

Hokkaido Photo 7/4



中頓別にて
byRimu

2019-7-4 Category rimu, 風景フォト | コメントは受け付けていません。

日本のミルク事はじめ


旧約聖書に、「広きよき地、乳と蜜の流れる地」が理想郷とあるように、ミルクは、紀元前から人類にとって大切な食べ物でした。
約5500年前のメソポタミアの遺跡に、ミルクをしぼる絵が描かれています。

西アジアからはじまったミルク文化は、シルクロードを経てインドへと伝わりました。釈迦の教えを説いた「涅槃経(ねはんきょう)」には、「乳より酪を出し、酪より生酥を出し、生酥より熟酥を出し、熟酥より醍醐を出す。醍醐最上なり。もし服する者があれば、衆病皆除かれる」とあります。
ミルクは、はるか昔から貴重な薬として用いられていたのです。

飛鳥・奈良時代
日本へは、インドから中国・朝鮮半島を経て、仏典や医術とともにミルクが伝わりました。

645年に百済(くだら)からの帰化人の子孫善那(ぜんな)が、孝徳天皇に献上したという記録(新撰姓氏録(しんせんしょうじろく))があります。
ミルクは最高の滋養薬として宮廷に広まり、善那は和薬使主(やまとのくすしのおみ)の姓と乳長上(ちのおさのかみ)という職を与えられました。

牛の飼育は、乳戸(にゅうこ)という制度で官営になり、諸国に広まっていきました。
ミルクを10分の1に煮詰めた蘇を納めさせる「貢蘇の儀(こうそのぎ)」が確立されました。

平安時代

宮中では、天皇・皇后・皇太子が毎日2.3リットルを飲んでいたと法典(延喜式(えんぎしき))に記されています。
年のはじめに行われる大饗(おおあえ)では、蘇と甘栗が必ず振る舞われ、宮中行事には欠かせない食べ物でした。

984年にできたわが国最古の医術書(医心方(いしんほう))には、ミルクや蘇を常用すれば「カラダの衰弱を補い、通じをよくし、筋力をつけ肝を強くし、肌を滑らかにする」とあります。藤原道長も蘇と蜜を混ぜたものを薬代わりに飲んでいたと、小右記(しょううき)に書かれています。

雅な貴族文化の中、つややかな黒髪で十二単をまとっていた宮中女性の美と健康に、ミルクや蘇はひと役買っていたかもしれません。

上流階級に広まった蘇は、あまりにも貴重だったため、庶民に広まることはありませんでした。
やがて朝廷の力も弱まり、武士が台頭してくると馬の飼育が必要となり、貢蘇の儀も廃れていきました。

この後、江戸時代まで乳文化空白の時代となります。


引用文献:Jミルク
写真素材:パブリックドメインQ

2019-7-4 Category コラム, 牛コラム | コメントは受け付けていません。

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