ロシアの乳牛にVRゴーグルで野原を見せたら…
暑い太陽の下、草の葉が輝く野原で育った乳牛は、そうでない乳牛に比べて本当に良質の牛乳を生産するのだろうか。このような仮説を確認するための興味深い実験が、ロシアの農家に導入された。目を引くのは、実際のフィールドで実験したのではなく、仮想現実(VR)機器を「実験ツール」として活用したことだ。27日、CNNなどの主要外信によると、ロシア農食品部は最近、モスクワ郊外の農家で、乳牛に理想的な生活環境が広がるVRゴーグルを着用させる実験が行われたと発表した。このVRゴーグルを着用すれば、乳牛はフェンスで囲まれた狭い農場を抜け出して、広い野原で夏の草原を満喫するような気分を感じることができるという。実験に先立って、獣医とVR関連の専門家が乳牛の頭の形や視力などを考慮して「乳牛バージョン」のVRゴーグルを設計したと、CNNは伝えた。
実験の初期結果は肯定的だ。まだVRゴーグルが牛乳の生産に及ぼす有意義な変化は検出されなかったが、乳牛の不安感が減り、全体的に牛の群れが落ち着いているという結果が現れたからだ。ロシアの農食品部は、VRゴーグルが今後、ミルクの量と質にどのような影響を及ぼすのかについて継続的に研究する計画だと明らかにした。
実験が成功すれば、現実的な理由で多くの乳牛を広い野原に放し飼いできない農家には朗報になるとみられる。ただ、VRゴーグルを外した時に乳牛が感じる精神的衝撃と、ゴーグルの期限付きのバッテリの寿命などがこの実験の課題として残っている。根本的な質問ともいえる「なぜ乳牛を野原に頻繁に放し飼いできないのか」という問題も残ると、CNNは伝えた。
2019年11月29日CNNより引用
牛乳の容器の歴史
■自前の容器からブリキ缶に
1866年(慶応2)、千葉から横浜に移った前田留吉が、和牛6頭を飼って始めたのが、日本の搾乳の始まりとされています。しかし、当初の牛乳は日常的に飲む飲料とは言えず、滋養の高い「薬」のようなものでした。
店頭での量り売りのほか、明治時代から牛乳の宅配は行われていたようです。しかし、専用の容器に入れて配達したのではありません。牛乳 が入った巨大なブリキの輸送缶に、ジョウゴと柄の長い杓子(しゃくし)をかけて訪問し、お客が出す鍋やどんぶりなどの容器に、5勺(約90ml)単位で量 り売りしていました。
最初の宅配牛乳専用の容器は、右の写真のような小さなブリキ缶でした。初めは口を紙で包んでいましたが、後に口を木やコルクの栓でふたをするようになりました。一部では陶器製のびんもあったようです。
●ブリキ製の牛乳容器(明治時代)コルク栓で手持ちが付いており、いかにも「薬」の容器らしい形。
■ガラス瓶の登場
ブリキや陶器の後は、ガラス製のびんが全国に普及していくことになります。明治22年、東京の津田牛乳店が初めてガラスびんを採用したのが皮切りだそうです。
初期のガラスびんは青や緑色をした有色びんが多く、首が細長いものでした。陶器や金属製のふたを針金で押さえたり、または金属のねじぶたで口を閉じていたようです。大正時代に、現在のびんビールで使用しているような王冠栓が登場してからは、王冠栓が一般的になります。
昭和にはいると、それまで細長かったびんの口が、現在見なれているような広口に変わります。昭和3年10月、警視庁により施行された 「牛乳営業取締規則施行細則」で、小売り配布用の牛乳は「無色透明硝子罎(ガラスびん)を用い、王冠栓を密栓」することが義務づけられたからです。ところが、当時は無色透明ガラスびんに王冠栓で密栓することが難しく、業者は頭を抱えてしまいます。そこで外国の牛乳びんのカタログを取り寄せたところ、紙栓をしてフード(掛け紙)をしているタイプのものがあり、警視庁はこれを認めたと言います。初期のフードはパラフィン紙を輪ゴムで留めたものでした。
●現存するもっとも古い牛乳用のガラスびん(江戸時代後期)。一般に流通したものではなく、相当に身分が高い人が使用したと思われる。
●細口ガラスびん(明治~昭和時代)金属製のふたを針金で閉じたタイプ。5勺(約90ML)、1合(約180ML)、2合(約360ML)のタイプがあり、家庭の経済事情などによって選ばれた。
■環境にやさしいリターナブル瓶へ
一時は統一が図られた牛乳びんでしたが、昭和10年代になると戦況下の物資不足に伴って、再び有色びんが使用されるようになります。青いびんのほか、「雑びん」と呼ばれる再生ガラスの黒いびんも現れます。
●戦時体制下の有色ガラスびん(昭和時代)左はビールびんなどを再生した「雑びん」で かなり黒い。不安だが、仕方のない時代だった。
戦後は、外国製(スウェーデン・テトラパック社)の三角錐をした紙容器が現れましたが、これは主に給食用に使用され、宅配用の容器はまた無色のガラスびんに戻ります。また、牛乳以外に加工乳も登場しますが、加工乳には、丸いびんの代わりに角びんを使用したり、フードの素材を変えることで デラックス感を与えたといいます。
●いろいろなフード(昭和時代) 紙のフード(左)は昭和30年代。昭和40年代になるとビニル製のフード(中)が普及した。加工乳には銀紙のフード(右)を使用するなどして、ふつうの牛乳と区別された。
現在は、多くの乳業メーカーが宅配牛乳にリターナブルびんを使用しています。最新設備で製造されたリターナブルびんは、衛生面にじゅうぶん気を配りながら、各家庭に届けられ、家庭から回収されたリターナブルびんは、しっかりと洗浄殺菌したうえで再利用されています。
ブリキ缶からガラスびん、そしてリターナブルびんへと、宅配牛乳の容器は、衛生面でも環境面でも常に進化しつづけています。
軽量化も図られた現在のびんは、いたずらされにくいシュリンクフード、開けやすいポリキャップなど、安全面や機能面でも進化しています。
参考文献
『牛乳と日本人[新版]』(吉田豊著、2000年、新宿書房刊)
『東京牛乳物語』(黒川鍾信著、1998年、新潮社刊)
『東京の牛乳衛生史──130年のあゆみ──』(海沼勝著、2001年刊)
『MILK CAP 牛乳ビンのふたの本』(和田安郎監修、2002年、きんとうん出版刊)
(一社)全国牛乳流通改善協会より引用
byRIMU