■はじめに
チーズは人類史上最も古い加工食品の一つと言われています。では、乳からチーズへの変化や熟成による味の変化はどのようにして起きるのでしょうか。これらの科学的なメカニズムが分かってきたのは、実はそれほど昔のことではありません。本稿ではチーズを作る技術、そしてチーズの美味しさについて解説しながら、チーズの奥深さについて知ってもらおうと思います。
■1.生活の中のチーズを知ろう
チーズは「ナチュラルチーズ」と「プロセスチーズ」に大別されます。ナチュラルチーズは乳から作られ、プロセスチーズはナチュラルチーズから作られます。2019年度における我が国のチーズ総消費量は約36万t、ナチュラルチーズとプロセスチーズの割合は大体6:4です。一般的にチーズを食べる歴史がまだ浅い地域は、プロセスチーズの割合が高い傾向にあります。フランスやドイツなど多くのヨーロッパ諸国ではプロセスチーズの割合は1割以下であり、消費されているチーズの主体はナチュラルチーズです。
我が国ではこの20年間で飲用乳の一人あたりの消費量は0.8倍程度まで減少していますが、発酵乳とチーズの消費量はいずれも約1.5倍に増加しています(表1)。ただし、国内の発酵乳生産量は増加していますが、チーズ消費量の増加は主に輸入チーズ量の増加によるもので、国産のナチュラルチーズ生産量はこの10年ほど4.5~5万t/年で大きな変動はありません。ちなみに、生乳処理量から計算すると我が国で作られるナチュラルチーズの98%以上は北海道で作られています。
■2.液体を固体にする技術とは
プロセスチーズは固体のナチュラルチーズから作るので、それらを一度溶解させる操作が重要となります。一方、乳から作るナチュラルチーズの基本操作は乳を固める技術であり、それには大きく分けて「酸で凝固させる方法」と「酵素で凝固させる方法」があります。
酸で固める乳製品にはチーズとヨーグルトがあります。一般的には乳酸菌を加えて生育させ、生じる乳酸によって酸性化が進み、カゼインミセル(乳の主要タンパク質であるカゼインは集合体“ミセル”を形成して乳中に存在している)の等電点凝集を起こさせるのが酸凝固の原理です(図1)。ヨーグルトは酸で凝固したものをそのまま利用して食品にしますが、チーズはさらに、固体と液体を分離する操作があります。この固液分離がヨーグルトとチーズの大きな違いとなります。一般的に酸凝固チーズは軟らかく、熟成をさせないフレッシュタイプが主体で、クリームチーズやカッテージチーズがその代表となります。
一方、凝乳酵素と呼ばれる酵素の作用で乳を固める方法があります。世界で作られるナチュラルチーズの70~80%はこの酵素凝固タイプと言われており、熟成を必要とするチーズはこの方法で製造されます。これまでに最もよく用いられた凝乳酵素は生後数カ月までの子牛の第四胃の抽出物である、通称“レンネット”と呼ばれるものです。この抽出物中に含まれるタンパク質分解酵素であるキモシンが、カゼインミセルを構成しているκ-カゼインを部分分解することで、カゼインミセルが凝集します。この酵素によるカゼインミセルの凝集体はミセル同士がカルシウムを介した結合を持つことから、酸凝集物よりもより強固につながっており、出来上がったチーズも酸凝固タイプより硬いものが多くなります(図1)。
■3.チーズの風味はどのように決まるのか
チーズの特徴は原料乳と製造方法で決まります。原料乳の特徴とは動物種(ウシ、ヤギ、ヒツジ、スイギュウなど)や系統(ウシだとホルスタイン、ブラウンスイス、ジャージーなど)の違いと、それらの乳成分の違いになります。製造方法には成分濃度の調整や殺菌の有無、凝乳方法や用いる微生物の違い、そして凝乳物(カード)の処理と熟成に関する条件などが含まれます。この組み合わせを考えるとナチュラルチーズが1,000種類以上にもおよぶと言われることも理解できるかと思います。
チーズの特徴の中でも風味の形成はさまざまな反応の積み重ねによって成り立っています。その中でも風味形成の主役を担っているのが「微生物」と「酵素」です。まず、微生物から見ていきましょう。発酵製品の製造のために使われる微生物を“スターター”と呼ぶことがあります。“発酵を開始させるもの”ということで、チーズ製造においてもなくてはならないもので、その種類としてはほとんどすべてのチーズに使われると言ってもよい乳酸菌と、一部のチーズに使われる乳酸菌以外の細菌類、そしてカビと酵母があります。
乳酸菌は文字通り乳酸を産生する細菌です。フレッシュチーズの酸味と匂いは乳酸菌が産生する乳酸と揮発性の芳香成分によるものです。原料乳自体の特徴を別にすると、酸凝固タイプのフレッシュチーズの風味は使用する乳酸菌で決まると言ってよいでしょう。
一口に乳酸菌と言っても分類上(名称が異なるもの)は数百種類存在していますが、実際に乳製品に使われているのはビフィズス菌を含めても20種類程度でそれほど多くはありません。しかしながら、熟成を伴うチーズの風味形成は非常に複雑です。その理由の一つは、チーズ製造においては複数の乳酸菌を使用することが挙げられます。また、名称が異なる乳酸菌はもとより、同じ名称の乳酸菌でも風味成分の生成能力が異なるものが多数存在しています。さらに、原料乳自体にも乳酸菌が含まれており、殺菌後もその一部は残存していることが分かっています。つまり、性質が分かっているスターター乳酸菌以外に、製造者も把握できていない乳酸菌(“非スターター性乳酸菌”と呼ばれている)がチーズの中に存在していて、両者ともども風味形成に関係している可能性が示唆されています。これに、カビや酵母を使えば風味形成過程はより複雑になりますし、カビや酵母も製造者が使用するものだけでなく、製造施設内に棲すみ付いているものがチーズ表面で生育することもあります。そうなると微生物による風味形成過程はますます複雑になるわけです。
熟成に関与する酵素にも、製造者が加える凝乳酵素以外に原料乳そのものに含まれる酵素と微生物が持っている酵素があります。酵素は加熱殺菌によってその機能は消失しますが、その程度は酵素により異なり熟成中のチーズでも働く場合があります。微生物による代謝反応は酵素反応の結果とも言えるのですが、酵素の種類によっては微生物が死滅した後に細胞内からチーズ中にしみ出して働く場合があります。タンパク質の分解を例にしてみます。チーズ中のタンパク質は分解されてペプチドとなり、さらに構成単位であるアミノ酸まで変化します。アミノ酸の一つであるグルタミン酸はうま味成分として知られており、この分解過程はチーズのうま味形成において非常に重要な変化です。一般的にチーズの乳酸菌数は熟成中徐々に減少しますが、うま味形成が進むのは死滅した微生物からしみ出た酵素が働いているからです。
チーズは作り手が制御できる工程と微生物任せで制御が難しい工程の組み合わせで成り立っています。世界各地で同じ製法(同じ名称)のチーズが作られていますが、製造施設が異なれば風味が異なるのは当たり前ですし、同じ施設で同じように作っても微妙に風味が異なることはよくあることです。図2はチーズの風味形成過程で起きる成分変化を簡単にまとめたものです。芳香成分の中には微生物や酵素反応で生じた一次生成物同士が反応して新たな物質に変化する場合もあり、結果的に様々な物質が生じることになります。
原料の生乳自体、生物が生産するものですし、そこにさまざまな代謝能力を有する微生物と酵素が働いて風味が形成されるわけです。まさに自然の恵に人間の知恵と技術が融合してできる多様性こそがチーズの魅力と言えるのではないでしょうか。
引用文献:酪農ジャーナル電子版酪農PLUS